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どん底からの復活をめざして…

消えゆくブルートレイン

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寝台特急ブルートレインが消える? 08年3月のダイヤ改定で東京‐大阪間を走る「銀河」をはじめ、「なは」(京都‐熊本)、「あかつき」(京都‐長崎)がなくなるほか、「日本海」(大阪‐青森)と「北斗星」(上野‐札幌)が1日2往復から1往復に減る。また09年春には「富士」(東京‐大分)と「はやぶさ」(東京‐熊本)の廃止も予定されているとか(朝日新聞11月18日付)。

 思い起こせば1970年代後半から80年代前半、私が小学生から中学生にかけての頃、世間は鉄道ブーム。玩具、書籍、お菓子のオマケや文房具には特急列車があふれていた。私も親からもらった35mmハーフの古いカメラを片手に駅に写真をよく撮りに行った。また小学校の卒業文集に、将来の夢は「国鉄の運転手」なんて書いた(笑)
 そんな中で、ブルートレイン(いわゆる寝台列車)は特別だった。新幹線や在来線の特急は見たり乗車したりしたことがあっても、ブルートレインには乗ることはおろか、真夜中に大阪を通過する東京発の花形列車「富士」「あさかぜ」「さくら」などは見ることさえままならなかった。
 やがて大人となり、旅行は私の趣味のひとつとなった。新婚旅行では幸運にも憧れだった寝台列車「トワイライトエキスプレス」のスイート(展望車)に乗ることができた。それ以外にも「北斗星」「あかつき」といったブルートレインにも乗ることができた。私にとってそれらはただ移動する手段ではなく、乗車すること自体が目的なのである。

 飛行機や新幹線が普及し高速化・過密化が進んだ今、寝台列車や長距離の特急列車がその目的を終え、次々と廃止されている。小学校の頃から慣れ親しんでいた列車やかつて乗ったことのある思い出の列車が消えゆく寂しさは、みなさんにはわかっていただけるだろうか…?

 今日も通りかかった東淀川駅では、カメラを片手に、列車を待ちかまえる人々の姿があった。「何の列車を待ってるの?」と思わす聞きたくなった。