心臓病 のち うつ病 ときどき 腸閉塞

どん底からの復活をめざして…

新型コロナウイルス感染まとめ

長文ですが新型コロナ感染まとめ。

①実家の父に会ったときに罹患したと推測。自分が高齢の父にうつしてはいけないとばかり考えていたが、まさか高齢の父からうつされるとは想定外だった。

②ぼくは医療機関勤務かつ患者さんや職員にうつしてはいけないということもありすぐに診てもらえたが、元気な人はかかりつけ医を持ってないことが多いので、診てもらえる病院(発熱外来)を探すところから苦労しそう。父もぼくの感染を知って慌てて受診したが、2つの医療機関に断られたと。

③個人的な症状は風邪より重く、インフルエンザより軽かった。最高38℃の発熱、筋肉痛と少しの咽頭痛、咳。解熱鎮痛剤を数回服用した。予防接種は3回済んでいるが、感染時は3回目の接種から半年経過していた。

④同居者がいる人はうつさないようにすることが重要。部屋、洗濯物、食事、ごみなどは別々に。換気は必須。浴室は時間を空け最後に換気をよくして使用。トイレのあとはハンドソープで手洗い、布タオルは使わずペーパータオルで拭く。ドアノブや水洗レバー、照明のスイッチ、便座はその都度アルコール除菌シートで拭く。マスクは常に着用。それらが難しければ宿泊療養を紹介してもらうこともできるが、一度入ると療養解除となるまで出られない。ぼくはそれがイヤなので自宅療養を選択。

⑤感染が確定しても重症化リスク(65歳以上、基礎疾患あり、ワクチン未接種、妊婦)に該当しない人はSMSが送られてくるだけ。リンク先に体温などの体調を入力し毎日報告。接触確認アプリCOCOAへの陽性登録も必要。それ以外のやりとりは基本的にない。体調の悪化や不明なことがあればこちらからホットラインへ電話する。何度か電話したがつながらないようなことはなかった。宿泊療養や宅食などの手配も相談可能。

⑥コロナ陽性の自宅療養期間は、症状有りの場合発症日から10日間、症状なしの場合は検体採取日から7日間。保健所からは、これらの期間を過ぎて症状が無い場合は周囲を感染させる心配はないと。しかし免疫力(抵抗力)が下がると体内に残っていた新型コロナウイルスが再燃する場合があるのでしばらくは体調に留意し、症状が出た場合は速やかに受診するようにとの事。

⑦濃厚接触者の自宅療養期間は最終接触日から7日間。濃厚接触者の定義は「車内等で1時間以上の接触」または「マスクなしで1m以内の距離で15分以上接触」※触れたかどうかではなく、距離の問題。

⑧新型コロナに感染した人は、感染していない人と比べ様々な精神疾患(不安障害、うつ病性障害、ストレスおよび適応障害、神経認知機能障害、睡眠障害など)のリスクが高いとの報告あり。精神疾患の既往歴のある方は注意。

⑨マスクの効果を疑問視する声や熱中症の危惧もあるが、感染の経験から言うと、咳をする場合、会話をする場合、人との距離を1m以上保てない場合、どれか一つでも該当する場合はマスクをすべきと考える。

医療機関と保健所の迅速かつ丁寧で適切な応対に感謝。
 
以上、みなさんの参考になれば幸い。

新型コロナウイルス感染

発熱、倦怠感、喉の痛みなどが出たため病院にて検査の結果、新型コロナウイルス陽性の判定となりました。症状の出る3日前、高齢で独居の父の様子を見に行ったのですが、喉の痛みと咳がありしんどいとの事でした。医師によるとやはり父からの感染が原因と推定されるとのことでした。しかし父は症状発生から5日経って軽快しており、特変ない限り自宅隔離のみでPCR検査も受診も不要とのことです。
私は37℃台の発熱と筋肉痛・だるさ、咳のみで今のところ体調は安定しています。7月1日まで自宅隔離のみとなりますが、その間保健所にはオンラインにて毎日症状・バイタルの報告が必要です。色々大変ですが、中でも妻が諸事情でワクチン未接種のため、家庭内感染を危惧しています。
皆様もどうぞ新型コロナ感染にはご注意ください。

上島竜兵さんの訃報

上島竜兵さんの訃報。しかも自ら命を絶ったと。
ウソやろ?と思ったけど、残念ながら本当だったみたい。

ぼくも鬱になり、生きる気力を失っていたことがあった。職場の近くに行くと誰かに会うのではないか、そしたらまた陰口叩かれるのではないかと本気でビビっていた。働けない焦りは日々重くのしかかり、いつしか消えてしまいたいとさえ思うようになっていた。

そんな時、ダチョウ倶楽部の竜ちゃんの鉄板ネタをテレビで見て、声を出して笑っている自分がいた。その瞬間だけは、嫌なことは忘れて正直に笑えている自分がいた。

その後、周囲のおかげでぼくは幸運にも何とか立ち直ることができた。

なのに。

竜ちゃんは逝ってしまった。彼は最後どんな状況だったのかはわからないが、人を笑わせるために、自らの命を絶つほど苦しんでいたとしたら皮肉すぎる。そんなことなら、ぼくたちを笑わせなくてよかったのに。そのかわりいっそ、竜ちゃんじゃなくぼくが死んだ方がよかったのかも?とさえ思えてくるほど動揺してしまっている。

あんなに明るく面白く楽しい鉄板ネタがもう見られないなんて信じられないし辛すぎる。

「ご冥福をお祈りします」「お悔やみ申し上げます」何て形式張った言葉などかけたくない。

何か質の悪いドッキリを見せられているよう。あの芸が、あのネタがもう二度とみられないなんて、信じられない、信じたくない。悲しすぎる。辛すぎる。ぼくはこの感情をどうコントロールしたらいいのかな。鬱で苦しんでいたあの時と同じように、途方に暮れるしかないのか。

お母さんへ

小さい頃、ふとお母さんが病気や事故で死んだら…と考えたときにものすごい孤独感に襲われたのを鮮明に覚えてる。大人になっても時々それを感じたし、お母さんの体調が悪くなってからは頻繁に感じた。
そして、とうとうそれが現実になってしまった。

シャントが詰まって病院へ行き、一時的に首からの透析ルートを確保しようとした時に出血し、その出血性ショックで血圧が下がったみたいやね。先生は血腫で喉が圧迫されて挿管もできなかったので気管切開したって言ってた。もう意識はなかったみたいやけど、ぼくが駆けつけたのわかってくれてたよな?苦しいのにそこまでよく頑張ってくれたな。おかげでみんなで看取ることができたよ。

お父さんから聞いたけど、その直前病院行くの拒否してたって?こうなることをわかってたから?

脊椎圧迫骨折の痛みで食欲もなくなり、弱って行ってたけど、痛みがなくなったらまた食べられるようになり、良くなるとみんな思ってたんやけどなあ…

それでも悲しんでばかりはいられず、お父さんも高齢やからぼくが喪主になったんやで。もちろんお父さんにもたくさん協力してもらったけど、親しい人たちでいいお葬式ができたやろ?
みんなにちゃんと見送ってもらいたかったから涙をこらえてめっちゃ頑張ったよ!ほんまにいいお見送りができたと思う。ぼくが選んだ遺影の写真もめっちゃ良かったやろ?ぼくもスキャンして小さな写真立てに入れて飾ろうと思う。

法名は「豪嘉」やって。お母さんの若い頃の豪快なイメージまんまでわろたけど、ものすごい光で照らすという意味があるんやって。お母さんらしいええ法名やね。

式が終わって家に帰ってから一人になったお父さんに電話したら、めっちゃ泣いてたわ。その時ちょうどぼくも一人やったから、今まで我慢してた悲しみが爆発して、声出して一緒に大泣きしてしまったわ。

まだまだやることはたくさんあるけど、ぼくは大丈夫やからお父さんだけはしっかり見守っててあげて。ぼくらもお母さんが生きてた頃と同じように実家に行くから。

そういや、お母さんが亡くなってからめっちゃ喉が渇くんやけど。お母さんは透析で水分が厳しく制限されてたから、もしかしてぼくの体を借りて水を飲んでる?

また寂しくなったら話しかけるわ。
返事は帰ってこなくても、50年以上のつきあいやから、何を言いたいかは十分わかるつもり。

心配かけないようにするから、しばらくはゆっくりして。

じゃあ、いつかまたね。

ありがとう、お母さん

8月11日、最愛の母が戻らぬ旅に出ました。
父から危篤の連絡を受け、病院に着いたときには気管切開をし心臓マッサージの最中でした。ぼくか到着したのを見て、父がDr.に「もう結構です」と告げ、臨終となりました。
思えば晩年は慢性腎不全による人工透析、大腸がん、心筋梗塞変形性股関節症、パーキンソン、そして最後は腰椎圧迫骨折…Dr.によると色んな原因が重なって状態が悪くなったと。
こんなことを言うと怒られるかも知れませんが、もう母が苦しい思いをしなくていいのが救いです。
そして、幼い頃病弱だったぼくに、つい最近まで「私より先に死なんといてや」と口癖のように言っていた母の願いが通じた瞬間でもありました。
病院から母の亡骸とともに実家に戻り、葬儀社との打ち合わせを終え、久しぶりに母と同じ部屋にいますが、明朝ひょこっと起きないかな?なんて思ってしまいます。
一番ショックを受けてるのは父。59年も連れ添った相方を失った悲しみは深いようです。母の介護や看病に明け暮れ、時々愚痴をこぼしていた父も、「もう病院へ送り迎えすることもないんやな…」とポツリと呟いたりして。
最近日記でも書きましたが、生きていると辛いこと、悲しいこと、苦しいこと、色んなことがあるけど、それは生きている証拠なんだと実感しています。残ったぼくたちは、母の分まで健康で長生きしなければ。

しばらくは以前のような日記は書けないと思いますが、どうぞ皆さんも健康には気をつけ、かけがえのない家族を大切にしてください。

ありがとう、お母さん。
本当にお疲れさん。
もう苦しい思いをしなくてもええから、あとのことはまかせて、今はゆっくり休んで。

お久しぶりです

たいへんご無沙汰しています。

早いもので、最後の日記から一年以上経ってしまいました。心配して下さった方がもしおられたら(いないとは思いますが)本当に申し訳ありません。

便りのないのは無事の知らせ。
の一年間、あまり書くことがなく…
というのは冗談で、トピックとしては

食べログはじめました
・母の大腸がん手術
・3年ぶりの泊りの旅行
・母の2度にわたる心筋梗塞手術
・48歳にして大型自動二輪免許の取得

…等々。
気が向いたら、追々アップしていきます。

鳥貴族

手術以降、ほぼ通常の食事生活を取り戻した私。

前回は餃子の王将の記事を書いたが、今回は鳥貴族に行った。

まだお酒は解禁していないが、ノンアルコールビールを飲んだ。腸閉塞にとって炭酸飲料はNGだったが問題なく飲めたし、焼き鳥も進む。

しかし、本当の復活はお酒を飲めるようになること。これには長期間体調が安定しなければならないと思っているが、なんとか目標を叶えたい。