心臓病 のち うつ病 ときどき 腸閉塞

どん底からの復活をめざして…

東日本大震災支援 その3

6月21日 水曜日 晴

 本日も遠野の民宿を7時15分頃を出発。釜石駅前のローソンで時間調整、8時50分より活動拠点での点呼。
 まずは近隣より依頼のあったソファーとテレビの撤去。モスバーガー釜石店近くの狭い路地を入ったところにあるお宅へ伺い、ソファーとブラウン管の大型テレビを運び出すが、玄関の扉が壊れて完全に開かず、路地も広くないため出すのにやや手間取った。また、粗大ゴミの回収も通常通りには行われていないようで、とある瓦礫の山に投棄の指示を受ける。地元の方曰く「瓦礫の山にテレビくらい捨ててもわからないし変わらない」とのこと。確かに至る所に廃棄物が文字通り山積しており、処理にはまだまだ時間がかかりそうだった。
 その後は拠点の隣にある浸水した小さな倉庫内の物品整理。必要な物と廃棄する物を分別していく。また、工具類などは錆が激しく、錆取りや潤滑油を使用し手入れをしていく。
 支援物資も着々と届き、一旦倉庫代わりの部屋に運び込み整理、分別する。衣類は男女別や大人用・子供用、上着下着などに分ける。お米はカップで3合ずつ量り、チャック付きのビニール袋に小分けする。ハエが多いのでハエ取り紙もたくさん届く。その他、紙おむつや生理用品、インスタント食品、乾電池、文房具など様々な物を仕分けし、支援物資をお渡しするテントに置く。テント内の物が無くなれば、補充する。また、無いもの、欲しい物があればリクエストを伺う、という流れだ。
 しかしコーディネーターの方からは「大切なのは単に支援物資をお配りするだけでなく、支援物資を取りに来られた方、足を止め挨拶をされる方一人一人の会話や表情を通じて、被災された方々が如何に心身ともに辛い思いをされているかを少しでも分かち合うこと、そして、その思いを拝聴し、僅かな時間でも心の重荷を下ろしていただくことだ」と教えていただいた。これは今回の支援活動でもっとも重みのあった言葉であったように思う。
 もちろん、無理に尋ねたり話を聞こうとしないことは言うまでも無い。

 昼食は、本日からキッチンが工事に入ることと、私たちが料理が得意でないこともあり、出来合いの弁当となった。やや申し訳なく思う。

 午後からも引き続き同様の活動。合間を見て、今日から合流する看護部長を釜石駅まで車で迎えに行く。
 また、本日は最高気温31℃を記録し、来訪者の皆様に熱中症対策として水分摂取を促す。私もペットボトルを腰にぶら下げ水分補給をしながらの作業。また、風が強く粉塵も多い。予想していたとおり、少々厳しい環境だ。

 本日は諸事情により私だけJRで遠野へ帰る。

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 釜石駅から山間を縫って走る列車の車窓から景色を眺めていると、沿岸部の被害が嘘のように長閑な風景が続く。いつしか微睡み気がつけば遠野の駅。皆の帰りを待って食事、定例ミーティング後就寝。
 明日は雨天の予想。活動に影響が出なければよいのだが…。

                                               つづく