心臓病 のち うつ病 ときどき 腸閉塞

どん底からの復活をめざして…

私とバイク その5

 86年7月27午前11時30分、シグナルが赤から青に変わり各車が一斉にスタート。私にとって初めての、長い長い8時間耐久レースがスタートした。
 当時のライダーの主な顔ぶれは…

   ホンダ    ドミニク・サロンワイン・ガードナー 組
          ウェイン・レイニー、木下恵司 組

   ヤマハ    ランディ・マモラ、ケニー・ロバーツ 組
          クリスチャン・サロン平忠彦 組

   ヨシムラ   ケビン・シュワンツ、辻本聡 組

   モリワキ   八代俊二、宮城光 組

   チーム紳助  千石清一、大塚茂春 組

 こうして今見てみると、世界選手権という桧舞台で活躍した選手、そしてチャンピオンになった選手、メーカー、ワークス、プライベート…豪華な顔ぶれがそろうレースだった。そしてこの頃まだカワサキはレース活動を再開していなかった。

 キャンペーンギャル、通称「キャンギャル」も、8耐からはじまったのではないかと私は考えている。この当時はまだハイレグなどといういかがわしい水着は存在しなかったし、望遠レンズを持ったカメラ小僧も少なかった。おそらくこの2~3年後からではないかと思う。
 私の印象に残ったのは資生堂テック21チームのキャンギャル。さすが化粧品会社のキャンギャルはレベルが違う。
 話がそれてしまったが、8時間というと非常に長い時間だ。走る方も耐久だが、見る方も耐久だ。8時間ずっと炎天下の中で観戦している人はまずいない。いかにして時間をつぶすかの工夫も大変だ。

 まず、バイクやパーツ、タイヤなどのメーカーやスポンサーがステッカーやうちわなどのノベルティを配ったり、バイクやキャンギャルの撮影会をおこなっている。
 次に食事。これははっきりいってろくなものがない。縁日のようなカレー、ラーメン、うどん、焼きそば。あとはかき氷やジュースもあるが、昼を越えるあたりから冷やすのが追いつかず、ぬるいコーラを飲まされる羽目に。
 あとは土産。キーホルダーやテレカ、Tシャツ、お菓子、プログラム、帽子…これを見繕うのにかなりの時間がつぶせる。
 最後は…寝る。夜を走り続けているし、前日は徹夜だし、眠い。本当に眠いのだ。

 そうこうしているうちに午後6時。各車ライト点灯の指示がでる。この時間になると転倒や故障でリタイヤするチームがかなりでてくる。また、日が沈むと一気に涼しくなる。
 そして午後7時30分、感動のゴール。この年も昨年に引き続きワイン・ガードナー選手が優勝。以後長い間8耐=ガードナーという図式ができあがってしまう。

 ゴールを祝したくさんの花火が上がり、レース終了後、コースが一般解放される。私と友人もコースに降り立ったが、このアスファルトの上をついさっきまでケニーが、平が、ガードナーが走っていたと思うと感慨無量だった。夕闇にとけ込んだアスファルトの黒さが今でも忘れられない。



 少しの食事と仮眠を取り、12時頃から帰路へ。時々休みながら帰ったのだが、大阪に入ったあたりから居眠り運転をしてしまう。といってもほんの2~3秒なのだが、目をあければセンターラインを大きく越えている。私はバイクでも居眠り運転ができることに妙な驚きを感じた。
 道端にバイクを止め、歩道に腰掛けほんの少し仮眠を取りつつ、午前5時、なんとか無事に家にたどり着いた。



 この年以来、しばらく私の夏は8耐とともに終わるのであった。



 そして秋が過ぎ、冬が過ぎた。87年の春、私は自宅で喀血した。検査の結果、入院し手術を受けることになった。

                                                               つづく