心臓病 のち うつ病 ときどき 腸閉塞

どん底からの復活をめざして…

私とバイク その4

 はじめての鈴鹿8耐、そしてロングツーリング。私と友人の、不安だらけの準備は続いた。それはまるで遠足の準備をする小学生のようでもあった。
 着替え・洗面用具、工具はもちろん、薬からビニール袋から新聞紙から、宿に泊まれると言うのに今思うとサバイバルの準備かと思うほどたいそうだった。
 準備は万全すぎるほど万全だったが、問題は友人のバイク「イブ」のことだった。当時でも最も安価で非力で軽いといっても過言ではないそのバイクで片道200km、往復400km以上を走ろうというのだ。

 思案ばかりしているうちにとうとう出発の日がやってきた。友人の母親もたいそう心配だったようで「これ持って行き」と、アルミ箔につつんだ握り飯をくれた。

 私のRG50ガンマと友人のイブは大阪から307号線を滋賀方面へ。この道がまた悪路である。道幅は狭いし路面は荒れ放題、街灯もほとんどない寂しい山道だ。
 滋賀県信楽を越えたあたりから、少し町が開けてくる。ここで少し休憩。お茶と握り飯をほおばる。信楽といえば全国的に有名な陶芸の町で、あちこちに陶器でできた狸の行列が並んでいる。が、昼間見るとユーモラスな狸の行列も、真夜中に見るととても不気味なものだ。
 信楽を越えて水口というところから、いよいよ国道1号線へ。道幅が広くなったのはいいが、真夜中にもかかわらずトラックが結構走っている。しかも猛スピードだ。私と友人は道路の左端を少しビビりながら40km/h前後でトロトロと走った。
 しかしここまでくると8耐へ向かうとおぼしきバイクを見かけるようになってきた。 そしてやっと鈴鹿峠を越える。鈴鹿サーキットはもうすぐそこだ。空もぼんやり明るくなっている。と、その時友人のイブが止まった。
 「あかん、もうガソリンあらへん」
 時計を見ると午前4時。国道1号線といえども周囲に営業中のガソリンスタンドは見あたらない。当時は24時間営業のガソリンスタンドは少なかったのだ。こうなることはある程度予想がついていたのだが、まさか予備タンクや灯油ポンプを持って走るわけにも行かず、持参してきたシャンプーの空容器とビニールチューブで工夫し私のタンクからガソリンを0.5リットルほど吸い出してイブのタンクへと注いだのだった。

 これで何とか鈴鹿サーキットまでたどり着けた。翌朝6時半のことであった。



 鈴鹿サーキットへは、小学校の修学旅行で行ったのだが、当時は遊園地の方がメインだった。レース観戦はこの8耐が初めてだ。
 まずバイクと車の多さに驚いた。広大な駐車場にバイクがギッシリと並べられている。駐車場に来る時間が遅くなるとなんとゲートまで40分も歩かされることになる。さらにゲートから観戦エリアまでは20分かかる。
 また、おそらくほとんどの種類のバイクと全国すべてのナンバープレートが見られる。沖縄や鹿児島といったナンバーも見受けられた。
 次に、サーキットの広さ。観戦エリアをはしからはしまで回るとゆうに1時間以上かかってしまう。
 そして、暑さ。私は4日間オイルも日焼け止めも塗らなかったので水ぶくれができて火傷状態になってしまった。ちなみにそのときの日焼けの痕はシミとなって未だに残っている。それくらい暑いし、照り返しがきついのだ。

 私たちは4日間の通し券なるものを購入したのだが、これは練習走行、予選タイムアタック、そしてもう一つのイベント、4時間耐久レースというものが見られた。4耐の方は、これからプロを目指そうというライダー達の登竜門であり、こちらの方も面白かった。

 4耐、公式予選も終わり、いよいよ8耐決勝の前夜祭。当時、島田紳助と一緒にラジオ番組をやっていた白井貴子がライブを行う。8耐をイメージして作ったという「ネクストゲート」で最高潮に盛り上がった。この8耐前夜祭は、以後本田美奈子早見優リンドバーグなども出演しており、夜が明けるまで盛り上がる。

 いよいよゲート解放。観戦エリアへ人波が押し寄せる。そして最後の練習走行。いちばんスピードが出るメインスタンド前にはひっきりなしに爆音が轟く。この爆音こそが8耐なんだなあ、と改めて感動する。また、実況アナウンス、キャンペーンギャル、サーキット内の出店、その全ても8耐の雰囲気を盛り上げている。

 午前11時30分、あとはいよいよスタートを待つだけとなった。

                                                               つづく